人が恐怖や羨望、
悲しみに突き動かされることなく、
自由であるとき、
そのときはじめて精神は
安らかで静謐(せいしつ)である。
そのときはじめて精神は
日々の生活のうちに
刻々に真理を悟り、
さらにはすべての知覚作用の
かなたに飛翔できる。
そのとき見る者と見られる者という
二元論は終焉する。
けれども、これらすべてのかなたに、
現実の混乱や闘争、虚栄や絶望と
関わらない、
始めも終わりもない流れ、
精神がついにとらえられない
不可測の運動がある。
さて、このように聞いて、
人はそれを理論化したり、
あるいは気に入ればそれを
広めるかもしれない。
しかし、流布したり宣伝できるものは
もはや真理ではない。
あなたの心が苦痛や不安、
あるいは闘争性でいっぱいに
なっているかぎり、
真理を宿す余地はない。
よをtり、
愛と呼ばれる悦ばしきものに
出会ったとき、
この真実がおわかりになるだろう。
~ジッドゥ・クリシュナムルティ~
『クリシュナムルティの瞑想録』より引用
わたしは全米NLP協会の公認トレーナーであり
他の様々な心理学における知見を学び、
知識としてではなく、
身体をつかったワークにも取組んだ。
また、日本だけではなく、
海外の著名な専門家の先生方からも
さまざまご教示いただいた。
また、この宇宙の真理を授けるという
新興宗教からも、その真理を授けて
いただいた。
(求める真理とは全く異なるものであった)
そのようにして、わたしが求めているものは
何か・・・・・
それは、”真理”である。
30年以上にわたるわたしの真理の追求の
ひとつの結論は”真理”を持つ人は、
覚者といわれる人であるということだ。
(自称悟りを得た人という人もいるが、
ここでいう覚者は本物だ。
宗教性もない)
わたしの知るわずか覚者3名であり、
すでに2名は他界しているが、
その方達の残したものを
瞑想というキーワードで
紹介していきたい。
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