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和光同塵
2017年10月11日

人間の争いは、自らを正しいとし、他人を不正と決めつけるところから生まれる。
このような二分法は、知識の人為性から生まれたものであり、
ありのままの自然の姿に反するものである。

「唯(い)と阿(あ)と相去ること幾何(いくばく)ぞ、善と悪と相去ること何若(いか)ん」
目上の人にハイと答え、ウンと答えてはならないという。
しかし、どう答えようと、肯定に変わりはないではないか。

それでは自然の道、善悪の差別以前の一なる立場にたてば、どうなるか。
「善なるものは、吾(われ)またこれ善とす。不善なるものも、吾またこれを善とす」
いいかえれば、すべてを善として肯定するのである。
なぜなら、道は善悪の彼岸にあるからである。

これを実践の場に移せば、
「たとえ鋭い英知をもっていても、これをおさえて鈍らせ、他人との紛争をときほごし、
たとえ鏡のような光をもっていても、これを和らげて明らかにせず、
塵(ちり)のうちに埋もれてこれを同調する」
「和光同塵」は老子のおおらかな態度をしめすものとして、有名である。

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