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何が悪いんだと開き直る人々
2017年09月21日

「歴史は繰り返す」人間一人の生涯はどんなに長くても100年前後だ。
人が亡くなれば、その人が実際に経験した真実、リアルが失われる。
現在、日本において戦争体験者、被爆経験者の減少が問題になっている。
なぜなのか、それは言葉で伝えらえることは、ごく僅かにすぎないからだ。

この夏、長崎で二人の被爆者が相次いで亡くなった。
一人は元長崎大学長の土屋さん、もう一人は日本原水爆被害者団体協議会代表委員の谷口さんだ。
二人は共に自らの被爆体験から、核廃絶運動の先頭を走ってきた。
多くの平和運動に携わってきた人々の喪失感は計り知れない。

私の母の兄は四人、全員戦争に駆り出されたが二人は戦死している。
一人は東京工業大学の学生で親自慢の秀才だ。
東京から戻ると休む間もなく「父、母はどこにいる?」と言って親の手伝いに向かう人だったいう。
「俺は戦争にいかないから、大丈夫」と両親を励ましたが終戦が間もない頃に召集され、
大陸に向かう船の中で、攻撃を受け戦死した。
訃報を受けた祖父の悲しみと落胆は激しく、1週間以上床から出てこなかった。
と80過ぎの母は語る。

母は長野の片田舎の小さな村の出身だ。
私が生まれた時は、すでに祖父も祖母も他界していたが仏壇に両親と一緒にならぶ、
若者二人の遺影写真は、いつも私に何かを語りかけてくるようだった。
叔父の一人は、シベリアで長く抑留生活を続け日本に帰った時には社会になじめず、
長い期間引きこもったと聞く。

長野県は先の安保法制の解釈改憲に県をはじめ、各市町村の議会の多くがいち早く反対の表明をした。
太平洋戦争においての都道府県別の戦死者数は長野県が一番だ。
日本の中でも東北にならび貧しい県である長野では多くの若者が志願して戦地に赴いたのだろう。
その痛みは、私のような世代まで記憶として刻み込まれている。

現実にあったこともない祖父母、あったことのない戦死した叔父達、
それでも身近な人を理不尽に失うことへの憤りは、確かに私の中にある。
正直、私の子ども達に何処まで伝えられるか自信はない。
しかし、おそらく彼らは権力を信用していないし、日本が戦争に向かうことは勿論、携わることも反対だろう。
とは言え、この程度しか、祖父母や叔父達の無念は伝えられない。
それが言葉の限界だ。

北朝鮮の核兵器やミサイル開発を受け、
「米国の核兵器の国内配備を議論すべきだ」
「敵基地攻撃能力を持つべきではないか」という声が一部の政治家から上がる。
先の大戦の大きな犠牲から学んだはずの謙虚さ、自嘲、冷静さ、客観性、弱者である故の生き方など、
「何が悪いんだ」と大きな声で開き直る人々は忘れたのか、学ばなかったのか。
いつの時代にも、このような愚かな人々が存在してきたのです。

そして、なぜか止められない悲劇が起こる。
今回の衆議院選挙がこの愚かの人々を更に活気づけ、大きな声、勇ましさがもてはやされるようになれば、
地獄の再現はあるのかもしれません。
不思議なことに我々は不安や怖れが強くなると、自我を守るために狂暴になるのでしょう。

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