わかったような人生
2017年05月05日
私の中で強く想うことの一つに、
わかったような人生を歩むことへの拒絶がある。
私は幼い頃、特に小学生の10歳前後だろうか。
なぜか、多くの大人に人生の心構えや、生き方に
ついてのレクチャーを受ける羽目になった。
それは、ときに校長先生であり、教頭先生であり、
地域の偉い方であり、父の取引先の人であり、
叔父であり、友達の親であった。
その中には、
「そうかあ」と素直に思える話もあれば、
自分の自慢話であることもあり、
想うように生きられなかった不満でもあった。
その中で「こいつ適当なこと言ってるなあ」と感じたのが
「わかったような話」だった。
そこには、本人の体験、経験がない。
フィジカルを通していない思考的な話は「わかったような話」だ。
そこには、喜びも、悲しみも、悔しさも、感動もない話だ。
子どもの感覚は正直だ。
わかったような大人になるのはやめようと思った。
立派な教育者と認められている人の中にも
わかったような人生を生きている人もいれば、
職人さんで、多弁でもない人が「そうかあ、そうなんだなあ」
と思える話をしてくれることも多かった。
人生の深みは、社会的は地位や収入や学歴や
世間体によるものではないところにあった。
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