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ネガティブな批評のキャンペーンについて
2016年08月12日

何かを非難すること、
厳しく批評すること自体が間違っているのではない。
すべてのテキストはあらゆる批評に開かれている。

ただ、僕がここで言いたいのは、
何かに対するネガティブな方向の啓蒙は、
場合によってはいろな物事を、
ときとして自分自身をを、
取り返しがつかないくらいに損なってしまうということだ。
そこにはより大きく温かいポジティブな「代償」のような
ものがよういされていなくてはならないはずだ。

その裏打ちのないネガティブな連続的言動は
即効性のある注射漬けと同じで、
一度進み始めるとあとに戻れなくなってしまうという
事実を肝に銘じておかなくてはならないだろう。

もちろん僕にも作家や作品の好き嫌いというのはある。
人間に対する好き嫌いもある。

でもその遥か昔のテネシー・ウィリアムズの講義のことを
思い出すたびに、
「やはり人の悪口だけは書くまい」とつくづく思う。

それよりはむしろ
「これはいいですよ。これは面白いですよ」と言って、
それを同じようにいいと思い、
面白いと喜んでくれる人を少しでもいいからみつけたいと
思っている。
経験的に深くそう思う。

これは早稲田大学文学部が僕に教えてくれた
数少ない生きた教訓のひとつである。

『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』
~村上春樹~

村上春樹が大学1年生のときの文学部のある教授の
講義でテネシー・ウォリアムズを学期中ずっと批判された
経験にもとづいての話だそうだ。

物語という作品提供をしているわけではなく、
生身に人の損得に関わる世界に身をおく立場ではあるが、
多くの文章を書く機会があり、人の前でも話す機会がある身として、
村上春樹の言いたいことはよくわかるし、間違いなく賛同するし、
わたし自身も気をつけたいと思った。

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