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街場のアメリカ論6
2017年11月15日

アメリカの「起源における完成」~
多くの賢者が洞察に富んだ答えを出しています。

いちばんよく知られているのはマックス・ウェバーの
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」です。
この中でウェバーはフランクリンに代表される「職業倫理感」について
透徹した分析をおこないました。

フランクリンの倫理学は「時は金なり」に代表されるように
徹底的に功利主義・実利主義なものです。
ウェバーはフランクリンの著述から次のような箇所を「資本主義の精神」を
端的に示す言葉として引用しています。

「時は貨幣であるということを忘れてはいけない。
一日の労働で十シリングを儲けられる者が、散歩のためだとか、
室内で懶惰(らんだ)に過ごすための半日を費やせば・・・・・五シリングの
貨幣を支出というよりは処棄したのだということを考えねばならない」

「貨幣は生来繁殖力と結実力をもつものであることを忘れてはいけない。
貨幣は貨幣を生みだすことができ、さらに次々と同じことが行われる。
(・・・・)一頭の親豚を殺すものは、そこから生まれる一千頭を殺し尽くすものだ」

「支払いのよい者は万人の財布の主人であることを忘れてはいけない。
約束の時期に正確に支払うことが評判になっているものは、
友人がさしあたって必要としない貨幣をすべて何時でも借りることができる」

「信用に影響を及ぼすなら、どんな些細な行いにも注意しなければならない。
午前五時か夜八時に君の槌(つち)の音が債権者の耳に聞こえるならば、
彼はあと六カ月構わないでおくだろう」

この引用を受けて、ウェバーは「資本主義の精神」をこう描写しています。

「われわれがこの”吝嗇(りんしょく)の哲学”に接している顕著な特徴として
感ずるものは、信用のできる正直な人という理想であり、
わけても自分の資本を増加させる自己目的と考えることが
各人の義務であるのと思想である。
実際にこの説教の内容をなすものは単純に処世の技術ではなく、
独自な”倫理”であって、これを犯すものは愚鈍であるに止まらず、
一種の義務忘却を犯すものとされているのである。

~内田樹~

ベンジャミンフランクリンは典型的なアメリカ人としてまず名前が挙がる人だ。
当時、アメリカという新大陸に渡った人々の手本になった人だろう。

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