老子が考える不自然
2017年10月04日
老子はなぜ知識を不自然なものとするのか。
人間が物を知るというのは、判断・分析・理解という語が示すように、
一つの物を二つに分断し、分解することによって、
「わかる」ものとすることにほかならない。
つまり相対差別をすることである。
常識の世界では、すべてが彼を此、前を後、善と悪、美と醜いう相対差別で現われてくるのは、
この知識の分別作用によるものである。
ところで、このようにもともと一つであるはずのものに、
二つに分けるという人為を加えることは、
物の自然のありかた、ありのままの物の姿をゆがめ、破壊することではないか。
人間の身体を、頭、胴、手足に分解したあとで、
もう一度よせ集めてみても、
それは死んだ人間を造るだけで、生きた人間にはならない。
ありのままのもの、自然のものは、あくまで一つであって分割を許さない。
人類は遺伝子の核、ゲノムの解読にも成功したが生命は見つからなかった。
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