経営者の戦略パートナーコンサルティング、無料メルマガも発行中!


ブログ
瞑想9 沈黙
2016年01月23日

沈黙には多くの性質がある。
音と音の間の沈黙、
ふたつの調べの間の沈黙があり、
また思考と思考の間で広がっていく沈黙がある。

あるいは田舎の夕暮れに訪れるあの不思議な
静寂のうちに、四面に広がっていく沈黙がある。
・・・・・あるいは古い廃墟のまわりに漂う沈黙が
あり、山の沈黙がある・・・・・・

まったき沈黙のうちにある精神の行う瞑想こそは、
人間が求めてきた祝福である。
この沈黙の中に、
およそ沈黙の持つすべての性質が含まれいる。

瞑想のさなかにある精神は、
沈黙のすべての変化と多様性と運動を包容して
いる。

精神がこのように沈黙しているときこそが、
真に宗教的な精神のありようであり、
神々の沈黙は大地の沈黙である。

瞑想のさなかの精神は、
このような沈黙の中を漂い、
ただ愛の流れに身を置くだけである。
このような沈黙の中に祝福と朗らかな
笑いが生まれる。

思考を超越したものは、
天真らんまんであって、
それは思考が常に古いものである以上、
どうあがいても思考によってはついに
触れえないものである。

愛と同様、
天真らんまんさこそが不死なのであるが、
それが現れるには、
精神は諸処の記憶を伴った幾千もの
昨日から自由でなければならない。

そして自由とは憎悪や暴力や残虐性が
存在しない状態である。
こうしたものを全て一掃しないかぎり、
不死とは何か、愛、真理とは何かを問うても
無意味なことである。

トランス状態にあるとき、
そこには自然な沈黙はある。
それは天真らんまんの世界である。

しかし、日ごろのわたし達が思考から離れて
沈黙の世界を得るのは容易ではない。

瞑想の意味はそこにある。

現代の瞑想はマハリシの超越瞑想や、
スピリチュアルな世界を彷彿させるような
やり方がほとんどだ。

それは、釈迦やクリシュナ、達磨や道元が
獲得した方法とは大きく違う。


参考図書
~ジッドゥ・クリシュナムルティ~
『クリシュナムルティの瞑想録』


=================

無料メルマガ『ほぼ日刊社長の仕事』の登録はこちらから ↓
https://www.isseyhonda.com/mail/

HPはこちらから ↓
https://www.isseyhonda.com/

マーケティング・経営 ブログランキングへ

にほんブログ村






ページアップ