瞑想13
2016年03月26日
瞑想は静謐の中で行われる運動である。
精神の沈黙こそ本然たる行為のあり方である。
思考から生まれた行為は天真たりえず、
それゆえいたずらに混乱を生むだけである。
精神の沈黙は思考から生まれることなく、
精神のざわめきを止めれば生まれるという
ものでもない。
頭脳そのものが静まり返ったときにはじめて、
静謐な精神が生まれるのである。
長い間反応し、何かを(内部から)投影したり、
あるいは主張したりするように条件づけられてきた
脳細胞は、物事をありのままに見ることによってのみ
静かになる。
このような沈黙の中で、見る者、経験するものという
中心が終焉したときにはじめて、
混乱のない行為が生まれる。
なぜならばそのときには見ることが
即行うことだからである。
そして沈黙の中で道徳的価値判断をはじめとする
すべての価値判断に終止符が打たれたときに
はじめて、曇りなく見ることが可能となるのである。
参考著書
『クリシュナムルティの瞑想録』
~ジッドゥ・クリシュナムルティ~
われわれの脳は常に反応している。
思考を停止するということ、かなり難しいことだ。
一旦、思い込んだ何らかの価値観は、
どんどん強化される。
われわれが見たいものは真理であろうか、
それとも、自分が見たいものだろうか・・・・
真理は動かない理であり、
自分の見たいものは相対的なものである。
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