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ヒトのためには偽善である
2016年05月07日

師匠、吉福伸逸の言葉が、心に沁みる。
誰かのためにというのは、どこか嘘なんだ。

先生はいう。
「ぼくが心理療法をやっているのは、
ぼく自身のためにやっています。
誰かのためにやっているわけでは全くないんですね。
これだけははっきり言えるんです。」

「ですから、クライアントがぼくの
セラピーやカウンセリングを受けてどうなろうと、
知ったことじゃないんです。
勝手にどうぞと思っているんですね。
ぼくの考えではその点がもっとも重要なポイントなんですよ。
それがなければ、カウンセリングやセラピーを
ぼくはできるとは思わないんですね。
ぼくの目から見ると、人のために、人を治すために、
人を何とかするために、
セラピーやカウンセリングをやっているという人は、
偽善にしか思えない。
その点だけははっきりとしています。」

「ぼくがセラピーをやり続けているのは
人を救おうなんて思っていなくて、
とても勝手で、
自分の欠損を補うために
必要だと思うからやっているんです。
・・・・・人は何かを思うから生きて行動し、
人生を送っているのではなく、
必要があるから生きて、こうやっていうんですね。」

死のプロセスに携わったエリザベス・キューブラー・ロスは、
「求めても与えられません。
必要があれば与えられます。」
と言いました。
同じようにぼくは、必要だからセラピーをやっているんです。
求めてやっているんではありません。

「そのポイントさえ押さえておけば、
人に本当に嫌われるセラピーができます。
なぜ、人に嫌われることが大切かというと、
ぼくの考えるセラピーは、
当人が絶対に認めたくないことを認めてもらうということだからです。
“あんたがあんたのような状態で、
今そこにいるのは全部あんたのせいなんだよ”とぼくは言うわけです。
どんなに嫌なことが自分に起こったとしても、
その嫌なこと、それをやっているのは社会でもなければ、
他人でもない、自分自身がやりたいから
そういうふうになっているんだということなんです。
そういう言い方は一般社会では嫌がられます。
けれども、どうやってその嫌な自分の側面を、
自分の一つの側面として認められるか。
そのことが大切なんです。」

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