相対的価値観
2017年06月11日
「相対的価値観の中で、現代の私たちは生きる」
このことが、私たちに本来の生き方を見失わせる。
幼い頃から相対的なものの観念や信念が上書きされていく。
身近なところでは親、先生、友人など、そこにメディアも加担する。
だから、名前のない「わたし」を説明するのは、なかなか難しい。
絶対的価値観を私たちは教えられない。
「わたし」と他者が存在するとすれば、他者が相対的価値観の相手であり、
「わたし」が絶対的価値観の相手だ。
ソクラテスやタレスがいう「汝自身を知れ」、
デカルトがいう「我思うゆえに我あり」の世界が「わたし」だ。
絶対的価値観を有する「わたし」について、最近何人かに説明したが、
酷く抵抗された。
だいたい怒り出す。
怒り出すのは、痛いところを突かれていると感じるからだろう。
しかし、知ったほうがいいに決まっている。
なぜなら、物理的な意味だけで老い、死を迎えていくというのは、
あまりに悲し過ぎるはずではないか。
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