かつてスピードスケートでオリンピックを目指していた。
その目標は大学2年生の怪我が大きく響き、
参加することは叶わなかった。
昨日は、かつてトップを目指し争ったメンバーが集まった。
一番遠方からは北海道の千歳から来てくれた。
メンバーは各大学の同期26名中、参加できたのは15名
だったが、ほとんどが約30年ぶりの再会に盛り上がった。
プロ野球でも華の昭和40年と言われるように、
スピードスケートの世界も素質があるメンバーが名を連ねた。
それでも、実際オリンピックに出場したのは1名だった。
この学年の1つ上が今回のリオでもオリンピック選手団の団長
を務めた参議院議員の橋本聖子さんである。
大学を卒業後も様々な面で日本のスピードスケートを支え続けて
いるメンバーが多く驚いた。
下は、各職業を持ちながらの小学生スケーターへの指導、
中学、高校は教員としての指導、大学もまた監督としての指導。
それとは別に、スケート協会の役員としての支援。
審判やスターターとしての国際大会での支援。
わたしは全くスピードスケートの世界に携わっていないが、
話を聞くと、スポーツは本当に多くのボランティア精神による支援に
よって成り立っていることを再認識することとなった。
今回はわたしとわたしのクライアントでもある友人と二人で、
2年前に脳梗塞で倒れたメンバーを励ましたいと願って企画した。
その病魔に襲われた友人も長野から駆けつけてくれた。
みんな50歳を過ぎた。それぞれの人生、それぞれに歩んでるが、
ひとり、ひとりが本当にいい歳の取り方をしているだろうなあと感じた。
何なんだ。この爽やかさや気持ちのすがすがしさは・・・・
何なんだ。この盛り上がりと、楽しさは・・・・・
「開催はオリンピック毎の開催と同じように4年に1度かなあ?」
と聞いたところ
「毎年やりたいよ!!」
という圧倒的な声により定期開催も決定した。
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