経営者の戦略パートナーコンサルティング、無料メルマガも発行中!


ブログ
人類の近未来を想像してみる
2017年05月21日

今、放送中のNHKの連続テレビ小説の主人公が
育った田舎の風景をみて、
「これ、俺の小さい時と風景」と思った。

田舎の稲刈り風景、家の中のキッチン周辺、
母たちのモンペやエプロン姿、父の農作業着など。

田植え、おばあちゃんに連れられて従妹達と
横一列になってやっていた。
稲刈りは親戚総出だ。稲を刈ってまとめる人、
運ぶ人、干すためにハゼにかける人。

これは、小学生の低学年の頃までの話だ。
その後、田植えは田植機に、稲刈りはコンバインの
仕事になっていった。

この50年の社会の大きなテーマの一つは、
人間の労働の機械化だった。
言い換えると、肉体の外化だった。
かつて人間の移動は自分の足か、かご、
馬、牛といった動物だったが、自転車になり、バイクになり
車になってきた。

建設現場においても、ほとんど機械を中心に作業が進行し、
人間の肉体を酷使する場面は限られる。
一番人員を割いているのは、警備だったりもする。

家庭内の所謂家事においても、かつて必ず家にあった、
ハタキやホウキを見かけることもなくなった。
掃除機を放てば、勝手に床掃除をやってくれる。
洗濯機も放り込めば、乾燥までやってくれる。
これらの家電も今はリモコンを使ったりするが、
間もなく、ほとんどが音声認識で動くようになりそうだ。
人間が労働のために身体を使う機会はなくなる。

今、人間の肉体の外化の中心は脳が中心となっている。
骨格筋の外化の先は、怠け者のようにソファに寝そべって
口であれこれ、ロボットに命令する姿が想像できる。
もしかすると、ランニングブームやサイクリングブームは、
太った怠けものという自分に対する恐怖の出現かもしれない。

しかし、脳の外化は想像できない。
脳を怠けさせると何が起こるのだろうか。
いつだったか、老人のボケ防止の対策に大人のゲームが
あったが早くも消えていった。
おそらく、映画や音楽を鑑賞する行為や小説を読むという行為も、
脳を活性化する効果は薄いだろう。

究極の身の安全のために、アンドロイドに全部やらせれば、
自分は傷つかないし、経営もヒューマンエラーや人間関係で
悩まされることもなく効率的に行えそうだ。

肉体のあらゆるものを外化し、便利を追究していくと究極は、
やがて「わたし」という存在そのものへの疑問が浮かび上がってくる。

冒頭の幼い頃みた風景から現在まで40年ほどであることを
考えると、遠からずの未来である。
人類は何のために機械化を進化や経済成長と位置付けたのか
という後世の厳しい批判に晒されることになるかもしれない。

==========================

無料メルマガ『ほぼ日刊社長の仕事』の登録はこちらから ↓
https://www.isseyhonda.com/mail/

HPはこちらから ↓
https://www.isseyhonda.com/

マーケティング・経営 ブログランキングへ

にほんブログ村

FC2ブログランキング






ページアップ