果たしてこの世界で、信念を持たずに生きることが
できるでしょうか。
信念を変えたり、別の信念と取り替えたりするのではなく、
私たちの生活に一瞬一瞬新しく出会うために、
全ての信念から完全に自由になることは可能でしょうか。
正しい回答はこうです。
すべてのものに対して、刻々に新鮮に接していく能力を持つこと。
それは過去の価値判断によって条件づけられたすべての反応を
否定すること
すなわち、「私自身」と「私の身辺にあるもの」との間に、
立ちはだかる障害物を取り払うことです。
正しい理解を妨げる、過去に累積された様々な影響力を
排除することです。
ひとつじっくり考えてみてください。
あなたが今一つの信念を受け入れるようとする場合、
その欲求がどうして起こったのか、その理由は何か・・・・・と。
理由の一つに不安を上げること
そのようにあなたはお考えになると思います。
私たちがもし何らかの信念をもっていなければ、
わたしたちはどうなるのでしょうか。
今後、起こるかもしれないことを、
私たちは非常に恐れることになるのではないでしょうか。
自分の存在が”無”であり”空虚”な人間であるかもしれない。
そうした恐れや不安を覆い隠すために、
私たちは何らかの信念を受け入れようとしているのでは
ないでしょうか。
『自我の終焉』
~J ・クリシュナムルティ~
引用
クリシュナムの言っていることは、いかがでしょうか。
わたしは瞑想(座禅)を毎日20分~30分おこなっている。
最初に禅を組んだのは、今からさかのぼること25年前、
臨済宗妙心寺派の方から教えていただいた。
それから、ゲリー・ボーネルやらヨーロッパのマインドフルネスの
研究者やら、様々な瞑想法や呼吸法を伝授いただいた。
道元のいう”ただ座れ”というのも、今となってはその通りと
賛同するがが、なかなか”ただ座る”というのも実は大変辛い。
クリシュナは《受動的な自己凝視》を主張する。
これは、わたしには物凄く響く方法だった。
釈迦、達磨、道元もクリシュナも教えてくれようとしていことは、
一緒だと思うが、自分を自分として存在させていると思っている
この”信念”というものを見つめるという取組みは、
とても有効な方法だ。
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