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引き続き老子の道
2017年10月26日

われわれの常識の言葉や概念は、限界のある有をとらえるために作られている。
したがって無限というものを、馬や犬などのように有限なものと同様に、
概念としてもつことはできない。

われわれは無限という言葉を口にし、いかにも分かったような気になっているが、
じつは何もわかっていなのである。
「限りがない」というが、それは「限り」という概念が「ない」ということであり、
じつは概念的思考の自己否定にすぎないのである。

無限を考えるとき、人間はその思考を断念して、思考のかなたにある無限の姿を、
おぼろげに想像するよりほかない。

道とは、この無限者にあたえられた仮の呼び名にすぎない。
もとよりそれは無限者であるから、あらゆるものをその中に包み込むものである。
それは無限に大なるものであるから、いかなる遠方にあるものを我のうちに取り入れる。
いな、遠いというのも正確ではない。

遠近というのは有限者のみについていえることであり、
無限者にとっては至る所が我にほかならないのであるから、
遠くにあるのではなくて、我に返ることなのである。

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